“観ているけれど、「何か」を観ていない”
在弓道審查的筆試中,常有一道題會常出現:請說明「目遣い」。
很多人在看到這題目時,想必稍微還是會頓一下,「咦!我該怎麼做答!…..」。在弓道教本中指出「正射」的條件,也就是行射時須遵守射法・射義之基本。而所謂的射法・射義之基本是指融合以下五點所形成的一體化呈現。
- 弓的抵抗力
- 基本體型
- 呼吸(息合い)(Iki-ai)
- 視線(目遣い)(Me-dukai)
- 心・氣作用
目遣いは大切である。心のまとまりは目によって示される。したがって目の使い方に注意しなければならない。目は常に半眼に開き、鼻頭を通して柔らかで生気を持つことが肝要であると言われている。
なお、受礼者に対する礼・前後の揖・足踏み・弦調べ・物見等は、それぞれの意義をわきまえて、目遣いを正しく行うべきである。かくして心気も整い、全体が目に映る。その極致は心眼に映ると言われている。
弓道教本第一巻Pp. 63
本篇想用極簡單的文字來跟大家分享下「目遣い(me-dukai;視線)」
根據教本提示,我們在行射當中共有四次看向靶,分別是「足踏み」、「弓構え」、「会」以及「残身」。「残身」本身為行射後的審視,所以基本影響不大。但在「足踏み」、「弓構え」、「会」時,由於視神經的反射作用造成的影響,行射過程也會受到其影響而導致失衡。而「目遣い」也會影響我們行射時的呼吸及身姿。
如同大家所知,當我們凝視著一個焦點時,由於視神經的過度集中,腦中的電波無法順利此時的身體是無法使上力,所以眼睛更應該保持著與靶之間柔和的對視。《弓道読本》著者唐沢光太郎亦曾提出“放鬆臉皮”一說,此時射手更能放鬆心情,也能充分發揮視神經的功能。
凡射るに目付を第一とす、前後左右の眼の定まらざるは悪し、能々目付を定るを常の教とす、目付たがへば、心離れて気も一ならず、技もかはる目付に規矩にあて星の星、眼の籐闇・半月・有明・外の目付・内の目付等の習あり、篦筋の見込と云へる習あり、西土人1は是を審といひ第一の教とす。
備註:
弓術要覧(1787)
1. “西土”指明國(明朝)。
凝視僅僅是將視線集中在某個點上,而忽略了身心掌握。「目遣い」的要素在除了將目光置於所在之處外,更要能眼觀八方地掌握整場。
我們熟悉的禮記射義裡「弓矢を持ること審固なり。弓矢を持ること審固にして、然る後に以って 中ると言うべし」,而明代高穎所著的《武經射學正宗指迷集序》(1637)內容也有提到:持弓矢審固。審者詳審,固者把持堅固也。按《紀效書》講「審」字義曰「詳審」,是專用目力也,前《捷徑門》審法已詳具之,此不復論。講「固」字義曰「把持堅固」,殊欠明暢,愚謂「固」指全體而言。凡引弓發矢,須全體之間──拳臂肩足胸腹腰背,無不安妥,則身法手法皆中乎節,方可言固。
詳讀可知,昔日著作已然為我們找到答案。
相手や物をみつめることは、目だけに心が集中し心身がおろそかになる。目つけのもっとも大切な要素は、自己の心をみつめることであり、場の掌握である。目づかいは呼吸や姿勢に大きな影響をもつ。
弓射を行う場合、的を見るときは、足踏み、弦調(しら)べ、物見、ねらいを定める以外にない。昔から蜘蛛(くも)の曲尺(かね)、雪の目付(めつけ)などと目の使い方はきびしく教えられている。これは万事にわたることである。
弓道教本第一巻Pp. 63
參考文獻
全日本弓道連盟(1971),弓道教本第一卷。