暗くなりかけた道を続けながら、
私の心には一つの明るい灯がともっていた。
大家好,我是Kyo桑。
今天的內容不同以往,有點特別。或許是因為即將除夕之故,想借機跟各位分享曾經Kyo桑從日本東京騎腳踏車(自行車)到京都的「途中筆記」。為保留原汁原味,本篇直接以當時的日文內容分享。
當時的自己,踏入社會,卻在思考未來的同時,也產生了對未來的茫然。自己的手足無措,在現實生活中,處在似懂非懂的階段,心態也尚未成熟,索性在某一個沒有預定的周間從品川出發,貫通 「東海道五十三次」(東京至京都的古道) 路線。(其實眼尖的朋友一定有發現,Kyo桑只去了“東海道五十二次”,而一開始便忽略了東京駅)
『旅の途中』
目的地も定めず自転車を走らせて、きょうで三日が過ぎようとしている。
銀行でお金を下ろしたあと、百円ショップで旅に必要なさまざまなものを買った。コンパスと日本地図は特に役に立つ。この二つがあって初めて計画的に走ることができるのだ。
旅をしてみて一番驚いたのは、走っているとすぐに腹が減ってしまうということだ。
一日五回は何か腹に入れないと、自転車をこぐ足に力が入らなくなる。食べ物は人間にとってのガソリンだということを実感する。
意外だったのは、日本には野宿できる場所が少ないということだ。いくら広い場所があっても、人間は木とか壁とか、何かそういうものの側でないと、落ち着いて眠ることができないものだ。これも旅に出て初めて実感したことだった。
それに公共施設がない場所での水の補給にはかなり神経を使う。それでも、
「水?ほい、たんと取ってけ」
大抵はこんな風に言って快く分けてもらえる。
とはいえ、
「なに?水?だれ、あなた?だめ、だめ!なに言ってんの」
こういう拒絶にあうことももちろんよくある。
何回経験しても、毎回少しどきどきしてしまう。
こうやってたくさんの家に立ち寄るうち、こう思うようになった。「家とその家に住んでいる人は何となく似ている」と。
静岡県のとある古びた木造の家に立ち寄ったときのことだ。最初はやはり少し緊張していた。だが、その家のおばあさんに話しかけたところ、意外に親切に。
「あんた、どっから来た?でけぇ荷物をつつんでぇ。」
そして、
「ほら、これも持ってけ」
と、食べ物までくれたときは、慌てた。
それから、そのおばあさんと少しその土地のことについて雑談をした。そうしているうち、日も暮れてきたので、そこを立ち去るときに、
「本当に助かりました。ありがとうございました。」
とお礼を言うと、おばあさんは、
「はい、はい、気ぃ付けてね」
と言って、見送ってくれた。
ところで、もし、私を家に例えたら、一人旅の旅人の目にどんな家に見えるだろうか。あのおばあさんの家のように見えるといいな。ああいう人になりたいな。暗くなりかけた道を続けながら、私の心には一つの明るい灯がともっていた。
平成二十二年 晩冬
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