大家好,我是Kyo桑。
本篇的內容會稍微比較特殊些。也沒有其他原因,主要是通篇都是日文,且是日本明治時代的用詞。總之,今天想分享一篇大日本弓術會於明治43年(1910)2月15日發行會刊《弓》第貳號中,關於弓術修練順序的研究資料。很棒的一篇文章,Kyo桑也不太想翻譯成中文,各位斟酌閱讀即可。
弓の上手となるには如何なる順序にて修むくきか
世の弓を引くものを見るに射形は誠に立派なれども、扨中りは氣の毒に感じせらるゞ者あり。又中るには能く中れども所謂調子弓にて、餘り感心せざるものあり。是等は何れも上手と稱すべきものにあらず。中てることは此上もなく、他から見ても射形の美しきもの、是れを弓の上手とは稱するなり。然らば弓の上手となるには如何にして之を修業すべきか。
一、中りを専一とすべし
弓も一ツの中て物なれば、中らざれば興味少し。而して其中りも一時的のものにては好ましからず。其中りたるや永久継続的のものならざる可らず。其中りを継続せしむるの方法知何。調子弓は中るには中れども一時的のものなり。一寸馴れさいすれば誰れが如何に引きても中てるものなり。之れは以て中りの基礎とするに足らず。然らば何を以て中りの基本となすか。之れは七道とて足踏、胴造、弓構、打起、引取、會、離の七ツの法則を能く守りて修業するにあり。此七道の法則に合はざる中りは眞の中りにあらず。故に眞の中りを得んと欲せば七道の法則を能く修得するにあり。
二、矢に勢を附することを旨とすべし
矢の勢あることを矢早といふ。矢の働きの能きをいふ。勢ある矢を出すには強弱にして撓(たゆ)まざることを心掛くべし。強きことは何程強くとも飽き足らざれども、何所かに弱き所あれば総体釣り合はず、矢に勢なし。剛は体全部に緩みなきことなれども、取り分け押手の剛を第一とす。押手強ければ之に従って勝手の力強くなり、総体に力行き亘(わた)るものなり。されば剛とは単に押手の剛とのみ見るも別に差支なきなり。押手強き為めに總体に力入りて矢の飛ぶこと早く、引く人見る人ともに心地よく感ぜらるべし。
三、意志の堅固なることを要す
中てゞもよし、中らぬでもよしなど思ふは宜しからず、苟くも弓を引く以上は其的中を豫期すべし。即ち心を引き締め、平常の練習に於ても必ず一本の矢を粗忽にせずして常に晴れの場にて射る心にて少しも油断あるべからず。彼の射形の善き割合に命中の少き者は多くは心の堅固ならざるによる。心は凝つて鐡石の如く堅かるべしといふ。
四、達矢にも熟達すべし
此所に遠矢といふは繰矢指矢を併せ稱するなり。繰矢指矢は眞の射形にあらす。遊弓なり、餘興弓なり。繰矢の射形も繰る身反り橋とて、弓を下にて引き分け、引きながら体を右方に反らし、押手の手先を跳ね上けて延びながら矢を放すなり。体を右方に繰り上る形を稱して繰る身反り橋といふなり。押手勝にして放すなり。之れ何所までも矢に勢を附することを専一とし、延びの強きことを旨とするなり。
遠矢は一の餘興弓に過ぎざれとも、之れ亦眞の射形の應用と見るべきものなれば其射法も心得て巧に射ること能はざるものは眞の射手とは稱し難し。
五、形に美しく射ることに力むべし
此花形と稱するは眞の射形の整ふて見事なることをいふ。夫れには最初に述べたる七道の法則を會得し、放つ矢に外れ矢なく、矢には充分の強みを帯びて実に美しき形なるべきことなり。されば此場合に至れば意志の堅固なるべきは勿論のこと、精神に少しも病む所なく清浄ならざる可らず。動作と精神と相一致して生ずる所は之れ花形の射前なり。之れ射術最終の目的なり。
以上述ぷる所の五項は順次に習得すべきものにして、最終まで修め得たるものを弓の上手とは稱するなり。然るに弓を修業する人多くは此法則を立てず、師たるものも此法則によりて弟子を導くもの少し。されば誤伝誤聞のことのみ多く世に残りて、的に中つる様に射れば射形整はず、射形を正して射れば的に中らず抔(など)と途方もなきことを言ひ触らすに至れり、元来弓なるものは矢を放てば必ず的に中るべきものなりといふことを心得置かざる可らず、的に中らざるは己れの修業の足らざるなり。射形の整はざるに於ても亦然り。然るを中りと射形とは両立せざるものゞ如く思ふは此上もなき誤なり。故に初心の中より中りといふことを心掛け、成熟の域に至りては尚更のことなり。中りを除ける弓は弓にあらざるなり。的を射るに於ても其他のものを射るにしても中りと射形と調和して初めて弓の精神を知る。百發百中によりて弓の効力を知るべし。僥倖の中りは假令鐵壁を繋くとも何かせん。遠くへ射造りたりとて其甲斐なかるくし。弓の本質は中りて矢早なるを要素とす。
註 此事は或傳書に「始中終法度の事」として一家の秘伝となり。他流のものに教ふるなかれとして禁じられたるものなり。
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