これまでを振り返ると、私の歩みは常に「正統」と「異端」が共存してきた。その分岐点は、2000年、母の死であった。
幼少期から先天性のアスペルガー症候群を抱えつつ、数理英才教育、ボーイスカウト活動、学業生活、バスケットボールや卓球の部活動、さらには数学オリンピック台湾代表など、多様な経験を重ねた。優秀であることへの誇りは、時に傲慢さとなり、現実から目を背ける癖も生んだ。やがて自律神経失調症を患い、人生で初めて大きなつまずきを経験する。
母を失って以降、「どう生きるべきか」を真剣に考えるようになった。自閉的な自分を奮い立たせ、「社交的になる」と決意。アスペルガー症候群を抱える者にとって過酷な挑戦だったが、人の振る舞いを観察し模倣しながら、兵役(海軍信号士)、留学、部活動(体育会弓道部第40代目主将)、就職など、多様な人間関係に身を投じた。
日本留学中、体育会弓道部に入部したことは転機となった。弓道という言葉すら曖昧な初心者だった私が、二年後には創部以来初の外国人主将に就任。事務処理から対外交流まで多忙を極める中、全国・関東・都内各大会に選手としても出場し、リーグ戦のブロック優勝・昇格を果たした。心身ともに苛烈な日々だったが、この経験は組織運営や人材育成の実務能力を磨く場となった。
大学卒業後は趣味を持たず、臨床心理学、とりわけ「アンガーマネジメント」の研究に専念。大きな成果は残せなかったものの、ひたむきに打ち込んだ時間は確かな糧となった。
その後、帰国して飲食業に携わることになる。台北市内で最大七店舗とセントラルキッチンを構えるまでに成長。経験のない分野に飛び込んだ理由を問われれば、「苦労を楽しんでこそ価値がある」と答えていた。顧客の満足という点で、心理学と通じる部分もあった。
NPOとの関わりは九歳で入団したボーイスカウトに始まり、その後も台湾弓道文史研究室、台北竹久弓道場、北京澄明弓道場(在外公館長表彰受賞)などの設立に関与。「いつも他の人々を助けます」というスカウトの誓いは今も私の中で生きている。結局、迷惑をかけたばかりかもしれなかった。
2009年から執筆してきたブログ『Kyo桑的弓道雑談』には約600本の弓道エッセイを掲載。名声やアクセス数を目的とせず、あくまで学習ノートとして、自らの理解を深める営みだった。それが華人圏の弓道実践者に少しでも役立っているなら、それ以上の喜びはない。15年以上続けられたのも、この純粋な動機ゆえである。
海外生活は長年の夢だったが、物語のような奇跡は起きない。理想と現実の狭間で多くの選択を重ね、自らの意思で「今」を選び取ってきた。フランス語の「Tourner la page(ページをめくる)」という表現のように、台湾、日本、NY、中国と居住地が変わるたびに新たな章を開き、舞台も登場人物も刷新されてきた。私の人生は、まさに転換の連続である。
2023年冬
許桑
